[1.風鈴]




「はじめまして。時任遙と申します」



涼やかな風が吹き
澄んだガラスの風鈴の音が
心の中で響く。
そんな気持ちになった。
まだ4月だとういうのに







僕のクラスに副担任が就くと聞かされたとき、

(教頭先生のまわしもの?)

正直、そう思った。

(今更、何故?)

羽ヶ崎学園で教師を始めてもう何年も経ち
最初の頃に比べたら教師らしくなったはずなのに。



ところがやってきたのは
今年大学を出たばかりという女性。

(何か裏があるのか?)

事前にもらった経歴書を元に
色々調べてみたものの
怪しい点は見当たらなかった。







副担任といっても教科は違うので
具体的に指導する事は何も無い。
朝と帰りのH.R.、課外授業、週1回の学活、
それだけが一緒に行動する主な時間。

生徒指導というのもあるけれど、
2年生のクラスという事もあって、
大体の生徒については把握していたし
特に問題のある生徒もいなかったので
打合せする時間もほとんど必要なかった。



それなのに、彼女は何かと僕を頼ってきた。
必死になって早く先生らしくなろうとしているみたいだ。

「生徒からこんな相談をされたのですが、
 教師としてどう対処したらいいでしょうか?」

「担当教科とは違う部分の質問は
 担当の先生にお願いしてもいいのでしょうか?
 生徒に無責任と思われないでしょうか?」

「休日に街中で生徒に会ったときはどのような態度でいるべきですか?」

「生徒から個人的に遊びに行こうと誘われた時はどうやって断ったらいいのでしょうか?」



そこまで深く考えなくても、と思うようなことも
真剣に生徒の気持ちを考えながら相談してくるので
初々しくて微笑ましい。

打ち合わせの時間は必要ないはずだったのに
放課後の部活前の時間は
準備室でコーヒーを飲みながらの
相談タイムとなっていた。







僕は生徒の前でわざとドジなフリをするのが好きだ。
あくまでも「わざと」だ。
決して天然ではない。
そうすることによって、生徒が僕に親しみを覚え、
先生と生徒のいい関係というのが生まれるのだ。

ところが、時任先生が来てから、
僕のドジを彼女がフォローするようになった。
「ドジな若ちゃん」と「しっかり者の時ちゃん」
というイメージが生徒たちの間に定着してきた。

おかげで教頭先生に怒られる回数は減ったので
僕の調子はうなぎ登り。



「コンビ名でも考えましょうか?」

「え?何のですか?」

「僕たちのです」

「コンビってなんですか?」

「漫才といえばコンビでしょう?」

「漫才…もしかして、いえ、もしかしなくても、私達ですか?」

「そうです!漫才は日本の文化です!」

「はぁ、あの、若王子先生のお好きなように決めてください………」



なかなか楽しめそうな雰囲気になってきた。

いつかここを離れるその時まではこの状況を楽しもう。

深いところには入らない。
入ってもらっても困る。
生徒たちと同じように
一定の距離を保って。







今日は新任の先生の歓迎会。

僕は向こうの暮らしが長く
子供の頃から慣れ親しんでいたから
アルコールもそれなりに強いはずだった。
今日まで本当にそう思っていたんだ。



「時任先生、ささ、どうぞ」

「ありがとうございます」

「きみが副担任になってくれたおかげで色々と助かっています」

「いえいえ、私なんて、まだまだです」

「着任したてで副担任…
 毎日緊張の連続だったでしょう。
 今日は思いっきり羽目を外していいんですよ」

「そうですか。では、失礼して」

カパッ



(え?!)



マジック…ではないよね?
一瞬でグラスが空になったような気が…?

ゴシゴシと目をこすってみるけれど
見えるのは彼女のニコニコした
涼やかな笑顔だけ。



「はー、労働の後のビールは美味しいですねっ」

「ややー…余程喉が渇いていたんですね?ささ、どうぞ」

「どうもです!若王子先生もどうぞ!」

「はいはい、いただきます」



追加注文しようと店員を呼ぶボタンをプッシュ。
彼女から目を離したのはほんの一瞬。



「ふーっ、次は何飲もうかなぁ?
 若王子先生は日本酒お好きですか?
 グラスじゃすぐ無くなっちゃうから瓶が良いですかねぇ…」



さっき注いだばかりのビールグラスが空?
それになんだ?
今の発言は?
何か悪い予感が…



追加でやってきた一升瓶。



(ここまで来たらこちらも意地です。負けませんよ…)



「あら?これすっきり辛口で安い割には美味しいですね〜。
 霧筑波、っていうんだ。ふーん、チェックチェック。
 さー、若王子先生も行っちゃってください!」

「はいはい…」



逝っちゃってください、って
聞こえたのは気のせいですよね???



「お!ここ、良い物飲んでるじゃないですか?私にもください」

「松本先生、でしたよね?どうぞどうぞ」

「時任先生は日本酒派かぁ、私もですよ!」

「さすが体育科の先生!
 確か松本先生は野球部の顧問してるんですよね?
 今年の調子はどうですか?」

「ああ、なかなか良いんだけどねぇ、得点力が今ひとつで…」

「あら、そうなんですか…。
 うちのクラスの志波君、
 中学の時には活躍してたと聞きましたが
 野球部は入らないんでしょうか?」

「志波も色々ありましてな。
 まあ奴がしっかりトレーニング続けていれば
 入って即戦力になってくれると思うんだが…。
 それにしても、まだ着任してひと月も経っていないのに
 生徒の事をよくご存知だ。偉いですね。誰かさんと違って…」

「ま、松本先生〜…、
 私だって志波君の事は担任としてちゃんと目をかけてます!
 彼がトレーニング、つまり、
 朝のランニングや素振り、筋トレなどを
 毎日欠かさず行っていることは調査ずみですっ」

「ほほー、若王子先生にしては珍しく仕事してるじゃないですか」

「うふふ、若王子先生も生徒の事が大好きですもんね」

「当たり前ですっ」

「じゃあ、志波君が野球部に入ることを祈って3人で乾杯しましょう!」

「おお、そうしましょう」

「はいはい…」



ニコニコとグラスをあける彼女。
それは水ではないよね?
その一升瓶から注がれた液体は
僕のと同じ成分のはず。

ちょっと目を離すと
知らぬ間に空になっているグラス。
そのグラスの前のニコニコの彼女。
涼しそうな笑顔。

足元に廃棄用のバケツでも
あるんじゃないかと覗き込んでみるが
「やだぁ若王子先生ってば、セクハラですよー!」
と背中を叩かれ咳き込む。







何回乾杯とイッキを繰り返したかもう分からない。
一升瓶の数が増えていないか?
僕は酔っ払って物が二重三重に見えているのか?

「若王子先生、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですっ。僕は負けません」

「はい?何か勝負中ですか?」



僕は、ただ、きみに、言いたいことが………
駄目じゃないですか。
そんなに酔って。
大丈夫?
僕が送りましょう。

(そうそう、いい調子で…す………)





「あーあ、若王子先生、寝ちゃいましたね」

「まったく、若王子先生にはいつもいつも困ったもんだ」

「なんか、寝言ムニャムニャ言ってますねぇ」

「はぁ…まあまあ!あんな人はほっといて飲もう!」

「そうですね、今度はこの大吟醸ってのにしちゃいます?」

「そうしよう、わははは」

「うふふふ」



彼女の笑い声にのって
あの風鈴の音が聞こえる。

ニコニコと涼しげな笑顔。
僕の顔をジッと見つめているけれど
僕の話をちゃんと聞いているのだろうか?

僕の目の前にいる彼女。
いや、瞼の裏に焼きついている彼女?
これは夢?現?







ああ、木漏れ日がまぶしいです。
普段なら爽やかな朝です。
鳥のさえずりが響いて…

「頭が痛いです…」

「若王子先生、ほら、朝のH.R.の時間ですから、行かないと」

「はい…、あの、時任先生だけ行くという案は…」

「ブ・ブーです。ほら生徒達が待っていますから、急いでください」

「…手厳しいですねぇ」



昨日の歓迎会………
最後はどうやって家に帰ったのだろう?
記憶が無いなんていったいどうなったのか?
あの松本先生まで「二日酔いだ…」とつぶやいていた。

朝から教頭先生に
「二日酔いだなんて教師という仕事を☆※△×!!!!」
「ごめんなさーい……あの、頭が痛いのでもう少し小さい声で…」
「わーかーおーじ先生!!」
なんて怒鳴られてしまうし…。



「はぁ…」

「わっ!若王子先生、溜息吐くとお酒臭いからやめたほうがいいですよ」

「分かりました…息しなければいいんですね」

「もうっ、何子供みたいな事言ってるんですか?しっかりしてくださいよ!!」



いつもは心を落ち着かせるあの音は
今日は風が強くてドラム缶を叩くような音に聞こえる



「あの、時任先生?そのぉ、もう少し小さな声でお願いしますぅ…」







最後はやっぱりちょっぴり情けない若ちゃんです。
えと、でも、あの、とにかく、
頑張れ!若ちゃん!
続きます。次回は時ちゃんSideの予定です〜。

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