[4.夕立]




ちょっと彼女の様子がおかしい。
気が付いたのは期末テストの忙しさが過ぎた頃。

考えこんで無口になったり
急におしゃべりを始めたり
何か言いたそうに僕の目をジッと見たり
そうかと思うと話を逸らしたり
いったいどうしたんだろう?





そして、今日は終業式。
明日から長い長い休み。
部活のある時は一緒にいられるとして
他の日はどうしよう?

夏休み。
学校以外の場所で
一緒に過ごす時間は
永遠のように長く感じられるかもしれない。

彼女はどう思っているのだろう?
普段の休日も一緒に過ごしている。
楽しくない、ということは無いだろう。
いつも笑ってくれるから。





そろそろ一緒に下校する時間。
化学準備室にやって来た彼女は
何かを決意したような固い表情で僕と向き合った。
どうしてそんな顔をしているの?



「ごめんなさい」

「えーと、別に僕は怒っていませんが?」

「私嘘を吐きました。ごめんなさい」

「嘘、ですか?」

「はい。ごめんなさい」



頭を下げたまま
僕の顔も見ずに
ただ謝り続ける。
嘘ってなんだろう?



「嘘………あ!目玉オヤジが瞬きするシーンがあるっていう………」

「ち、違いますっ!」

「うーん………じゃあ、ヨーゼフが野生化するっていう………」

「そ、それも確かに嘘でしたけど、それじゃないんですっ!」

「うーん、じゃあ何でしょうか?」

「………つけられてる、って嘘だったんです。ごめんなさい」

「え?」

「ごめんなさい」



一瞬何の話か理解できなかった。
いや、理解したくなかったという方が正しいか。

この程度の嘘、なんだそんな事、と
いつものように笑顔で受け流せる。

僕だって彼女に本当の事なんて一つも話していない。
そう、彼女にも、生徒にも、誰にも。
ヘラヘラと周りと軽いノリで付き合って
なんでも笑ってスルーしてきたじゃないか。



………だけど、なんだろう、この気持ちは?

胸の中がジリジリして
頭の中が熱くなる。

喉が渇いて
手が震える。

これは………怒り?



「………僕がどれだけ心配したか分かりますか?」



冷たい声。
自分で聞くのも久し振りだ。
この声は嫌いだ。
感情も無い。
温度も無い。



「ごめんなさい」

「今日から一人で帰ってください」

「ごめんなさい」

「夏休みも部活に来なくて良いです」

「私、来ます、部活は………」

「今からあなたは自由です。時任先生」

「っ…」

「今まで僕がそばにいて窮屈だったのでしょう?」

「若王子先生、私は…」

「僕をからかって楽しかったですか?」

「ちがっ………」

「帰りなさい」



僕は
僕の体の中は
なんだか分からない感情でいっぱいなのに
僕の声は
僕の表情は
怒りで少し震えているかもしれないけど
押し殺してその大きさは見えないはず。

そういう世界でずっと過ごしてきた。
そういう他人の反応が嫌で飛び出してきたのに
今、僕はそれと同じ事をきみにしている。



ごめんなさい、と
最後にもう一回だけ言って
彼女は走り去っていった。

最後に僕に向けた顔は涙でグシャグシャになっていた。
泣くぐらいならなんであんな嘘を吐く?
なんで今さら嘘だと打ち明ける?

僕と四六時中一緒にいるのが嫌になったのだろう。
夏休みまで一緒だなんてウンザリだったのだろう。
からかうのも疲れたのだろう。

僕はきみといることが楽しかったのに。

きみは違った。

そういう事なんだ、きっと。





こんなに心が揺れたのは初めての事かもしれない。
ボンヤリ過ごしていた日常が
一気に夏のように暑くなって
そうかと思ったら今度はドシャ降り。



僕は本当に楽しかったんだ。



ゴロゴロゴロ………



「雷………」



今日は夕立が来るのか。
グランドの向こう側から黒い雲の塊が流れてきている。












どうしてこんな事になっちゃったのかな………

最初はほんのいたずら心だったのに。



「帰りなさい」



若王子先生の言葉が
冷たかった
怖かった
怒りで震えていた…。

もっとはっきり怒鳴られて
なじられた方が良かった。

あんなに
落ち着いた態度で
静かに言われたら
何も言い返せなくなる。



私、なんてバカなことしちゃったんだろう。
もっと早く謝ればよかった。
若王子先生と過ごす日々が楽しくて
ズルズル引き伸ばしちゃった。



長い長い夏休みまで束縛するのは
さすがに申し訳ないって思って
先生にだってプライベートがあるだろうって思って
だから今日言わなくちゃって思って。



うっ…



涙が止まらないよ。



ゴロゴロゴロ………



「雷………」



雨、ふってきた。
私の気分と一緒。
大粒の後悔の塊。









夏休み、部活だけは参加した。



若王子先生は
いつもどおり
話をして
笑う。

そう『いつもどおり』生徒に向ける態度と同じ。
4月に出会った頃と同じあの表面だけの笑顔。



辛い。
けど、許して欲しい。
そして前みたいに一緒にいたい。



どうしたらいいの?





夏合宿の付き添い中、
あまりにもボーっとしていたのか
澤木さんに話しかけられた。

「時ちゃん先生、若王子先生と喧嘩でもしたの?」

「え?!ど、どうして?」

「んー、どうしてってはっきり言えないんだけど、なんとなく?」

「なんとなく………」

「うん。いつもどおり話もしてるし笑ってるみたいだけど、なんか違う、みたいな?」

「違うみたい、か」

「あ、私の勘違いだったらゴメンね」

「ううん、なんか誰かに気付いてもらえて嬉しい」

「やっぱり喧嘩してたんだ。大人でも喧嘩ってするんだね?」

「うふふ、大人でも喧嘩します。
 でも、喧嘩というより私が若王子先生を怒らせちゃったっていう感じかな」

「そうなの?じゃ、あやまった?」

「もちろん。沢山あやまった」

「で、若王子先生は?」

「許してくれないみたい。ホントにひどい嘘吐いたから」

「あやまったのに許してくれないんだ。大人って複雑………」

「ふふ、澤木さんだってそんなに単純じゃないでしょ?」

「うーん、まあ、そうかも。
 それにしても、嘘吐いたって、どうしてそんな事したの?」

「どうして、だったかなぁ?」

「そこんとこちゃんと話したら理解してもらえるんじゃない?」

「話、聞いてくれるかな」

「聞いてくれるまでがんばれば良いと思うけど?」

「しつこいって思われないかな?」

「一生嫌われるより、今だけ『しつこい』って思われる方がいいじゃん」

「そっか」

「そうだよ!時ちゃん先生、がんばれ!」

「ありがとう、澤木さん。頑張ってみる」

「………元気、出た?」

「ふふふ、バッチリ」

「よかった!じゃ、練習戻るね!」

「はい。澤木さんも頑張って!」





生徒に慰められるなんて。
ちょっと恥ずかしいけど、なんだか嬉しい。
私の事をしっかり見てくれる生徒がいるって思うと。



私も彼女を、生徒たちを、しっかり支える先生になりたい。
頑張らなきゃ。
彼女たちが楽しく過ごせるためにも
私は………私と若王子先生は
このままじゃだめだ。







ややー!
わかたん=誕生日おめでとう=Happy!
のはずなのに
なんでこんな涙話なんですか、これ?
ホントにごめんなさい!

続きます。頑張れ!時ちゃん!
(今回は時ちゃん応援)

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