+++君と見た空の色+++
アイツと肌を合わせたのは、たったの一度だけ。
好きだと言ったわけでも言われたわけでもなく。
ただ自然に。
触れ合い、唇を重ね、抱き合った。
臨海公園の花火大会の後。
突然降りだした雨。
臨海公園に近いアイツの家で雨宿りをした。
田舎の祖父母の家に行ってるらしく、両親は留守。
3つ年上の兄貴はここぞとばかりに彼女の部屋へ泊まりに行ったそうだ。
広い家にオレとコイツは2人きり。
濡れた服を洗濯して乾燥させている間に風呂を借りた。
オレとさほどガタイが変わらないという小波の兄貴の服を着て。
オレは小波の部屋のベッドに腰掛けている。
あまり女っぽさを感じさせない部屋だけど。
惚れた女の部屋だ。
やっぱり緊張して落ち着かない。
雨は一向に止む気配がなく、とうとう雷まで鳴り出した。
暗い空に稲光が走る。
どっかに落ちたのか、物凄い音がした。
時を同じくして、廊下からも何かが割れる音。
慌てて部屋を出てみると、廊下でしゃがみ込んで耳を塞いでいる小波が居た。
「どうした!大丈夫か?」
小波の隣に膝をつき、肩を叩いてやると縋りつくようにオレの胸に飛び込んできた。
「おい、小波?」
「ダメなの・・・カミナリ・・・」
「は?」
普段のコイツを見ていたら、雷が怖いなんて到底想像できない。
明るくて元気で、ちょっとばかり天然入ってて。
気さくでポンポン物を言うし、サバサバした性格だから男女問わずダチが多い。
オレもその中の1人。
誘えば乗ってくるし、誘われれば遊びに行く。
だけど、それはオレじゃなくても同じ。
そのことに不満を持ってたわけじゃねぇ。
それでもいいって思ってた。
その中で、少しだけ多くオレを見てくれればそれで・・・。
「カミナリ、怖いのか?」
オレに縋りつく小波はコクコクと頷く。
意外だったが、そのギャップが妙に可愛いとすら思える。
こいつのこんな一面、多分オレしか知らない。
「少し離れるぞ?コップの欠片、片付けなきゃ危ねぇ」
そう言った途端、物凄い音の雷。
「きゃあぁぁぁぁぁ!」
それに負けてないくらいの小波の悲鳴。
無意識にギュッと抱きつかれ、オレの身体も硬直した。
想像した以上に柔らかい胸の感触。
「おい、小波」
震える小波を遠慮がちに抱き締めた。
抵抗する様子はまったくない。
雷が鳴るたびに悲鳴を上げて抱きつく腕に力が入る。
いつまでもガラスの破片が散乱する廊下にしゃがみ込んでるのも危険だ。
抱きついたままの小波を抱き上げる。
「ひゃっ!な、何、志波!?」
「いつまでもここに座り込んでるわけにはいかないだろ。片付けはオレがする。おまえは部屋で待ってろ」
「いいよ。片付けならわたしがやる・・・きゃあぁぁぁぁっ!」
家が揺れるんじゃねぇかと思うくらいの大音量の雷。
どっかに落ちたな。
そう考える前に電気が消えた。
停電か。
送電線がやられたな。
復旧までどのくらいかかるだろう。
「もぉ、やだぁ・・・」
初めて聞いたな。
小波の涙声なんて。
不謹慎だと思いつつ、結構可愛いもんだと思っちまう。
「真っ暗じゃ何も見えねぇ。とにかく、一旦おまえの部屋戻るぞ?」
「う、うん。じゃ、下ろして。自分で歩ける」
「すぐそこだ。そのまましがみ付いてろ。落とすようなマネはしないから」
「恥ずかしいもん。お姫様抱っこなんて。わたしのイメージじゃない」
「そうか?案外可愛かったぞ。さっきの悲鳴とか・・・」
「ぎゃーっ!抹消!記憶から抹消して。いますぐ削除っ!」
「ハハ。それだけ元気がありゃ大丈夫だな」
「うぅ、一生の不覚だぁ」
悔しそうに呟いてるけど、オレに抱き上げられたままじゃ説得力がねぇな。
真っ暗で顔も見えないが、多分ふくれっ面をしてるんだろう。
顔が見えないのが残念なくらいだ。
「懐中電灯は?」
「ないよ、そんなの。アロマキャンドルなら、机の上にあったと思う」
「アロマ・・・?なんだ、そりゃ」
「ロウソクに火を点けるとね、いい匂いがするんだ。水島に教えて貰った」
「へぇ・・・」
部屋に入って抱いていた小波を下ろす。
手探りで机の上を探し、アロマキャンドルとライターを見つけた。
アロマキャンドルに火を点けると、ゆらりとオレンジ色の光の中に小波の顔が浮かび上がる。
太陽の下や蛍光灯の灯りの下とは違い、艶っぽさすら感じるのが不思議だ。
「もうちょっとしたらいい匂いしてくるよ。バラと紅茶の匂い」
小波の言ったとおり、しばらくしたら花の匂いがしてきた。
小波とオレは電気が点くまでベッドに並んで座ることにした。
雷の音は遠ざかったが、電気が復旧する気配はない。
ロウソクの灯りが揺れる。
「電気、点かないね」
「そうだな」
「終電、間に合う?」
「走って帰るから大丈夫だ」
「ウチから志波の家まで、結構距離あるじゃん」
小波の家からオレの家までは走れば1時間以上かかる。
そのくらいの距離、オレにしてみればなんでもない距離だ。
「余裕で走れる。心配すんな」
「さっすが、志波」
「電気が点くまでは居てやる」
「カミナリさえ鳴らなきゃ平気だもんね」
「なら、帰る」
「ウソ、冗談。まだ志波の服、乾燥の途中だよ?」
「こっちも冗談だ。そんな顔するな」
「そんな顔って、どんな顔?」
「心細そうな顔」
「そんな顔してないよ。志波の嘘つき」
小波のパンチが飛んでくる。
本気で殴るつもりのないそれを、オレは片手で受け止めた。
オレの掌にすっぽりと収まってしまう、小波の手。
「志波?」
小波が首を傾げる。
そのまま腕を引っ張れば、簡単にオレの胸に飛び込んでくるだろう。
友達のラインを崩すのか崩さないのか。
揺れる灯りの中、オレと小波は向かい合った。
「小波・・・」
オレの言葉を遮るように、遠ざかっていた雷が戻って来た。
雷鳴が轟く。
「きゃあぁぁぁ!」
小波が悲鳴をあげて、自分からオレの胸に飛び込んでくる。
その身体をしっかりと抱きとめた。
「すぐに鳴り止む。少しガマンしてろ」
雷の音が聞こえないように、耳を覆う形で抱き締めてやる。
オレの胸に顔を埋める格好で、小波は震えながら雷をやり過ごす。
どれだけの時間、抱き合っていただろう。
雷の音が遠ざかってもオレたちは離れようとしなかった。
部屋中に香るバラの匂いに酔ったように。
オレと小波は唇を重ねた。
目を覚ますと、見覚えのない天井が飛び込んできた。
外はもう明るくなっている。
雨は止んでいて、カーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいた。
あのまま、寝ちまってたのか?
オレの腕の中に小波の姿はなかったけど。
オレの身体には小波の温もりや感触がしっかりと刻み込まれていた。
軽いノックの音。
「おはよ、志波」
「・・・おはよう」
「朝ごはん、パンでいい?」
「あぁ」
「卵は目玉?スクランブル?」
「目玉」
「了解。これ、洗濯した服。着替えたら降りてきて。洗面所は階段降りて左の突き当たり。洗面用具置いてあるから、適当に使って」
「あぁ、サンキュ」
オレに服を渡すと、小波はパタパタとスリッパを鳴らして階段を降りていく。
いつもと変わらない口調。
夕べのことはオレの幻想なんじゃないかって疑いたくなるくらい。
あんなことの後だ。
多少なりとも今までと変化があってもいいような気がするんだが・・・。
服を着替え、階段を降りる。
小波に言われたとおり洗面所へ行って顔を洗い、台所へ向かった。
台所にはTシャツとハーフパンツの小波。
オレの気配に小波が振り返る。
「そこ、座って待ってて。もうすぐ出来るから」
「あ、あぁ」
椅子に座り、小波が料理をする姿を眺める。
宣言どおり、すこし待っていると小波が出来上がった料理を運んできた。
トーストと目玉焼き。
生野菜のサラダ。
コーンスープとコーヒー。
「簡単なものでゴメン。お腹に入れば一緒だから、食べて」
「・・・いただきます」
小波の家で朝を迎えて。
2人で向き合って朝メシを食ってる。
時々、小波を盗み見る。
細いわりにはよく食う女。
今も朝っぱらからガツガツ食ってる。
いっそ気持ちがいいくらいの食いっぷりだ。
「何?」
「いや、別に・・・」
「こっち見すぎ。食べ辛い」
食べ辛いって言ってるわりに、相変わらずガツガツ食ってる気がするのは気のせいか?
あまりにもいつもと変わらない小波。
オレ、マジでこいつと・・・ヤッたんだよな・・・?
花火大会の後。
野球部の合宿が1週間。
練習試合やら課題やらで夏休み後半は慌しく過ぎていった。
オレだけじゃなく、それは小波も同じで。
顔を合わせる機会がないまま新学期を迎えた。
「うっす、志波!」
針谷に背中に引っ叩かれて顔をしかめる。
「・・・」
「焼けたな・・・ってか、おまえ元々黒いからわかり辛ぇし」
「ほっとけ」
「課題やってきたか?」
「とりあえず」
「んじゃ、見せろ。数学、終わんなかったんだよなー」
針谷に課題ノートを渡す。
「あんがとな。あとでコーヒー牛乳おごるわ」
オレが苦労して終わらせた課題(半分以上は近所に住んでる幼馴染みのお陰)を、コーヒー牛乳で済ませる気か?
まぁ、いいけどな。
教室に向かって歩いていると、西本たちと話している小波の姿を見つけた。
「あ、おっはよ、志波!」
「おはよう」
「久しぶりだねー。課題終わった?」
「ノート、針谷に持ってかれた」
「あはは。針谷らしい。でも、志波だって坂井に手伝ってもらったんでしょ?」
「まあ、それなりに」
「それなり・・・ね。ほとんどじゃないの?課題テスト、クリアしないと部活に影響するんだよ。大丈夫?」
「・・・多分」
「ま、お互い頑張ろうね。わたしも練習出れないとヤバイし」
小波はチア部に所属している。
その中でも一番元気に飛んだり跳ねたりしている小波。
そんなアイツの姿にいつも励まされる。
「じゃ、またね」
チャイムの音に、廊下にいた生徒たちが慌てて教室へ入りだす。
オレも小波たちと別れて自分の教室へ向かった。
やっぱりいつもと変わらない小波の態度。
あの時のコトは夢だったんじゃねぇのかって、時間が経つにつれて思っちまう。
オレは小波が好きで、あの瞬間は小波だってオレに心を寄せてくれてたと思う。
コトが終わって夜が明ければ、何事もなかったように話す小波。
こみ上げてくる不安は、その後堰を切ったように溢れ出す。
友達なんかじゃ物足りねぇ。
オレは小波を・・・自分だけのモノにしちまいたいんだ。
普通・・・にできてたよね?
あの日以来、志波のことを考えると心臓が破裂するんじゃないのかってくらいドキドキする。
志波はどうしてわたしを抱いたんだろう。
わたしは志波が好きだけど。
志波がわたしのことをどう思ってるのかなんて訊いたことない。
訊くのが怖い。
志波は女の子にモテる。
1年の終わりに野球部に復帰して、この夏の大会で大活躍。
惜しくも甲子園出場は逃したけど、それ以来志波の周囲には女の子が絶えない。
その中にはキレイな子も可愛い子もたくさんいる。
わたしなんて逆立ちしたって勝てないような子。
そんな女の子に好きだって言われたら、志波だって悪い気はしないだろうな。
「おはよ、美奈子ちゃん」
「あ、おはよー」
「課題終わった?」
「なんとか。詰め込めるだけ詰め込んできた。課題テスト終わったら、きっと全部忘れる・・・」
「美奈子ちゃんもカッちゃんと同じこと言うんだね」
そう言って坂井が笑う。
坂井は志波の隣に住んでる女の子。
いわゆる幼馴染みってヤツ。
野球部のマネージャーもやってて、一時期志波と付き合ってるって噂もあった。
高校に入学してからしばらくの間、志波は人を寄せ付けないオーラを撒き散らしてた。
わたしだって初っ端からあんな風に喋れてたわけじゃない。
そんな中、志波が唯一普通に喋ってた女の子が坂井だ。
あの志波が優しい顔で話してる女の子。
志波は坂井のことが好きだったんだよね。
わたしでもわかるくらい、志波は坂井のことを見てたから。
2年になってからすぐ、坂井は別の男の子と付き合いだした。
志波たちと同じ野球部でピッチャーをやってる瀬戸。
瀬戸も志波と坂井とは昔からの付き合い。
学区は違うけど同じ少年野球のチームメイト。
好きな女の子が自分の友達と付き合い始めたのを。
志波はどんな気持ちで見てたんだろう。
坂井と瀬戸を見守る志波。
そんな志波のことを好きなんだって気づいた。
自分の気持ちに気づいたのはいいんだけど。
志波と彼カノの関係になりたいと思わなかった。
志波は坂井のことが好きだから。
わたしが告白したって、すぐに気持ちを切り替えられる人じゃない。
気まずい思いをするくらいなら、友達でいられることを選んだ。
そう思ってたはずなのに・・・。
ロウソクの揺れる灯り。
近づいてきた志波の顔から目をそらすことが出来なかった。
重なった唇は温かくて。
わたしの身体を撫でる志波の大きな掌の感触が心地よくて。
雷の怖さなんてすっかり吹き飛ぶくらい、わたしは志波が与えてくれた感覚に酔いしれていた。
って、今それを鮮明に思い出してどーすんのよっ!
せっかく詰め込んできた課題テストのための勉強が吹き飛ぶでしょ。
思わず、わたしは机に突っ伏した。
・・・ダメだ・・・忘れそう。
キャパオーバー気味なわたしの頭に追い討ちをかけるように。
後頭部をパコンと殴るヤツがいた。
「朝っぱらから何百面相してんだ?」
「なにすんだよ、バカ佐伯!」
「誰に向かってバカって言ってんだ?おまえより賢いに決まってんだろ」
「ウルサイよ!せっかく覚えてきたのに、忘れちゃったらどーすんだ」
「勉強ってのは、普段の積み重ねが大事なんだ。付け焼刃でどうこうしようと思うほうが間違い」
「くっそー。どうせ、わたしは佐伯みたいに賢くないですよーだ」
佐伯に向かってベーッと舌を出す。
やれやれ、とでも言いたげに佐伯が方を竦める。
「おまえなぁ・・・。もうちょっと言葉に気を遣え。仮にも女だろ?」
「女だからって、全部が全部可愛く話すと思ったら大間違い」
「ほんっと可愛くないな」
「佐伯に可愛いと思ってもらわなくても結構ですー」
「しょうがないからヤマ張ってやるよ。これやっときゃ、ギリギリ平均点はいけるだろ」
「マジで?佐伯、最高っ!」
我ながら現金だよね、わたしも。
でもこれで赤点は免れる。
志波も同じクラスだったら、佐伯大明神のヤマ教えてあげられるのに。
「ったく現金な女だな」
ブツブツ言いながら佐伯はわたしのテキストをチェックし始めた。
何だかんだ言って昔から面倒見はいいんだよね。
みんなに知られると厄介だから、誰にも言ってないけど。
実はわたしと佐伯は幼馴染みだったりする。
志波と坂井みたいに、どっちかがどっちかを好きだとかそういう感情はまったくないんだけどさ。
男と女っていうよりも男友達に近いしね。
佐伯の実家とわたしが昔住んでた場所がご近所。
しかも、わたしのお父さんは佐伯のお父さんの会社で働いてて。
はばたき市にある支店の支社長になったのが、わたしが高校に入学する前。
佐伯は中学のときからこっちに住んでたから、顔を合わせるのは3年ぶりだった。
誰も知らない佐伯の小さな頃の話を知ってるわたし。
そんなわたしは佐伯にとってバクダンみたいなもんだ。
誰も佐伯の小さい頃の恥ずかしい話なんて暴露しないのに。
イマイチ信用されてないんだよねぇ。
「ねー、佐伯。簡単に作れるお菓子ってある?」
「は?今はテストに集中しろよ」
「わたしでも失敗ナシで作れるヤツ」
「おまえでも・・・。難しい話だな」
「失敬なっ!わたしだって料理くらいつくれるよ」
「卵焼いて、野菜切って、インスタントのスープ温めるだけだろ?」
「・・・うっ」
「おまえさぁ、将来のこと考えたら料理くらい覚えた方がいいぞ?」
「それを実感したから、料理覚えようと思ったんだってば」
「実感するのが遅いだろ。てか、何で今更?」
「この間、志波が泊まって・・・」
「はぁ!?」
「ちょ、佐伯、声大きいってば」
クラスメイトの視線がこっちに集中。
もー、佐伯のバカっ!
「どーゆーことだよ、美奈子」
幾分声のトーンを下げて佐伯が聞いてくる。
花火大会の後、雨が降って雷がひどくて停電して。
それで朝まで志波が一緒に居てくれたことを話した。
エッチしちゃったという事実は伏せたけど。
「で、ロクな朝飯も作ってやれなかったから、今更ながら料理を覚えようと思ったってか?」
「そーゆーこと」
「ハァ・・・。おまえが志波とねぇ・・・」
「なんでため息?」
「別に。で、料理より先にお菓子ってのは?」
「志波、甘いもの好きじゃん。だから」
「おまえ、そんな健気な女だったか?」
「マジ、ウルサイ。教えてくれるの?くれないの?」
「教えてやらないことはないけど。俺の指導は厳しいぞ」
「わかってるよ。サンキュー、佐伯」
「じゃ、とりあえず今度の日曜店に来いよ。俺がどこに出しても恥ずかしくないケーキを作れるようにしごいてやる」
「いや、そこまで本格的じゃなくていい」
「バカ野郎。この俺が指導するんだ。きっちりついてこい」
佐伯の気迫に押されてわたしは頷く。
「・・・よろしく。ってか、佐伯ってそんな暑苦しいヤツだったっけ?」
「教えてもらう立場で暑苦しいとか言うな」
「はいはい。どーもすみません。佐伯センセイ、よろしくお願いします」
「色んな意味でムカつく言い方だな。ま、いいけどさ」
とりあえず、お菓子作りの先生は決定。
料理は・・・お母さんに習うか。
あ、真咲先輩も料理上手だったよね。
ついでに志波の好みも聞けたりするかも。
あー、こんな女の子っぽいのキャラじゃないのに。
まずは課題テストに集中しなくちゃ。
佐伯の張ってくれたヤマは全問的中。
お陰で平均点クリアで補習は免れた。
だけど、その後大問題が勃発しちゃったんだよね。
結果的には雨降って地固まるってヤツだけど。
始業式の翌日。
志波とわたしは商店街のファーストフード店にいる。
帰りが一緒になるの、久しぶり。
先生の頼まれごと、聞いといてよかったなー。
「おまえ、今度の日曜ヒマか?」
「えっと・・・その日はちょっと用事があるかな?」
「・・・そっか。ならいい」
「ゴメン。次は予定空けとく」
「気にすんな」
志波は笑ってくれるけど。
せっかく誘ってくれたのに悪かったなぁ。
約束は佐伯のほうが早かったし、しょうがない。
わたしから言い出したことだし。
本当にゴメンね、志波。
今度こそ、絶対に付き合うから。
そう心の中で決めたとき、携帯電話が鳴り出した。
佐伯からだ。
どうしたんだろ。
「ごめん、ちょっといい?」
「あぁ」
志波に断ってから電話に出る。
「もしもし?」
『悪い、美奈子』
開口一番それかい。
「どーした?なんかあった?」
『今度の日曜、ダメんなった。さっきアイツから電話あって・・・』
佐伯の言うアイツは、わたしたちより4つ年上の大学生。
ちなみに佐伯の彼女。
最近、忙しくて中々会えなかったみたいだけど。
「わかった。キャンセルってことね。今度何かオゴッてもらうから覚悟しとけ」
『何でもおごる。マジで悪いな。じゃ』
ぽっかり空いちゃった日曜日の予定。
部活もない。
さっきは断っちゃったけど志波と会えちゃうよ。
ラッキーかも。
「ごめんね、志波。日曜日予定空いちゃった。よかったら遊びに行こ?」
「今の電話・・・佐伯?」
「あ、うん」
「日曜、佐伯と約束してたのか?」
「うん、ちょっとね。教えてもらいたいことがあって」
志波に手作りお菓子を渡したいから教えてもらうんだ。
なーんて素直に言えるわけがない。
志波の顔が段々と不機嫌になっていく。
「志波?」
志波の顔を覗きこむ。
う、眉間に皺寄ってる。
「止めとく。日曜の話、なかったことにしてくれ」
「なんで?」
「佐伯の代理なんて真っ平だ。帰る」
そう言って志波はさっさと席を立ってお店を出て行った。
残されたわたしは、座ったまま動けない。
今まで、こんな風に怒ったことなんてなかったのに。
志波を佐伯の代理なんて思ってなかったんだよ。
志波と遊べるの、嬉しかったんだよ。
それなのに、何でこんな風になっちゃったんだろう。
わたし、もしかしなくても考えナシなことしちゃったのかな。
日曜日。
ムカつくほどの晴天。
雨や曇よりも晴れているほうがいいに決まってる。
だが、今日に限っては腹立たしい。
八つ当たりなのは自覚してる。
今日の空は、小波と初めて朝を迎えたあの日の空に似ていた。
2人で見上げた雲ひとつない青い空。
友達の多い小波が、特別親しいのが佐伯だ。
小波と佐伯の間には、他の男とは違った雰囲気がある。
それがオレを苛立たせた要因のひとつ。
相手が佐伯じゃなかったら、ここまで腹が立つこともなかっただろうに。
特別やることもなかったから、森林公園に走りに来た。
限界近くまで走って芝生広場で休憩。
家族連れ、友達連れ、それからカップル。
楽しそうな声がオレの耳を流れていく。
その中でオレの鼓膜が瞬時に反応した男の声。
閉じていた目をパッと開いて起き上がる。
声のした方へ目を向けると、いつもの制服姿とは雰囲気が違うが確かに佐伯の姿があった。
隣には女がいる。
当然、小波じゃない別の女。
あの野郎、小波との約束をキャンセルして別の女と何やってんだ。
頭の奥でプチっと何かが切れて、その瞬間オレは走り出していた。
佐伯の右肩を掴み力任せに引っ張って、こちらを向いた佐伯の胸倉を乱暴に掴み挙げる。
「志波っ!?」
「きゃっ」
隣の女が悲鳴を上げるが、そんなことはお構いなしだ。
「おまえ、小波との先約蹴って何やってんだ!」
「なんで志波が知って・・・」
「おまえが電話かけてきたとき、一緒に居た。おまえ、小波のことどう思って・・・」
そこまで言ったとき、オレの背後から聞き慣れた女の声がした。
佐伯の胸倉を掴んだまま振り返ると、そこには何故か小波が立っていて。
オレが佐伯の胸倉を掴んでることに気づいて慌てて駆け寄ってくる。
間に割って入りオレと佐伯の距離を離す。
「何やってんの、志波も佐伯も!」
「何で俺まで怒鳴られるんだよ。志波が急に掴みかかってきたんだぞ?」
それは否定しない。
手を出したのはオレが先なんだから。
「どーして、そんなことしたの?」
「・・・」
小波は睨むようにオレを見上げている。
おまえ、佐伯が別の女と一緒にいることは気に障らないのか?
小波が佐伯を好きかも知れないと知っていながら、
コイツを抱いたオレに何を言う資格はないのかもしれないが。
「つーかさ、志波が怒ってる原因っておまえなんじゃないの?」
「わたし?」
「おまえが自分の気持ちハッキリさせないで、他のヤツとほいほい遊びに行ったりするから。だから志波がヤキモチ焼くんだろ」
「付き合ってもないのに、どうしてヤキモチなんて・・・」
「ここまで言ったのに、その先まで言わせる気かよ。どう考えても鈍すぎるだろ、おまえ」
「は?」
「いい加減気づけ。この鈍感!後は当事者同士で話をしろ」
佐伯はそう言って彼女の腕を掴んで歩き出す。
心配そうな顔で振り返る彼女。
さすが佐伯が選んだだけあって、いつ見ても美人。
「ごめん、佐伯!和実さんもっ!」
わたしの声に佐伯は振り返らずに手だけをヒラヒラ振った。
今度学校で顔合わせたら、問答無用でチョップだな。
焦ってて気づかなかったけど、わたしたちの周りギャラリーが多いんだけど。
ケンカが始まると思って野次馬が集まってきてたんだ。
わたしは志波の腕を掴んで猛ダッシュ。
その場から逃げ出した。
「おい、小波・・・」
小波に腕を引かれるまま走って、ようやく立ち止まる。
全力疾走で息切れをしている小波。
少し呼吸が整うまで待って声をかけた。
「おまえ、どうしてここに?」
「志波んトコ行ったら、お母さんが森林公園に行ったって教えてくれた」
小波とオフクロは何度か会ってる。
初めて顔を合わせた時からウマが合ったというか、オレを無視して2人で話し込んでたな。
だからオフクロもすんなり行き先を教えたんだろう。
あの電話の日以来、まともに顔を合わせてない。
少しばかり気まずさを感じる。
「あの、さ。志波が怒ってるのって、佐伯が言った通りわたしが原因?」
「・・・違う」
「じゃ、何?」
「佐伯が・・・おまえとの約束蹴って別の女と居た。だから・・・」
だから、腹が立った。
「しょうがないじゃん。あの人、佐伯の彼女だよ。美人でしょー。一流大学の学生さんなんだ。すっごいいい人」
「おまえ、知ってたのか?」
佐伯に彼女がいるってこと。
「佐伯と彼女のこと?うん、知ってるよ。一緒にお茶したりご飯食べたこともある。キレイで頭もいいのに、それを鼻にかけたりしないし。女のわたしでも惚れるよ」
「ちょっと待て。おまえ、それでいいのか?」
「何が?そりゃ、佐伯だって彼女と2人っきりの方がいいに決まってるだろうけど。わたしだって2人の邪魔する気なんて全然ないよ。でも遠慮すんなって2人に言われたら断れないでしょー」
「いや、そうじゃない。おまえ・・・佐伯のこと好きなんじゃないのか?」
「冗談っ!ありえない。それはない!」
そこまで否定されると、ホッとする反面何か佐伯が気の毒になるな。
「志波こそ、何をどうやったら、わたしが佐伯を好きだなんて恐ろしい考えが浮かんできたわけ?」
「おまえと佐伯・・・他のヤツらとは空気が違う」
「・・・そんなことはないと思うけど。志波ならいいかな、話しても。わたしと佐伯って、幼馴染みなんだよね。佐伯の実家って、ここから遠いんだけど。わたしも引っ越してくる前はそこに住んでた。佐伯のお父さんの会社で、わたしのお父さんが働いてんの。んで、こっちの支店長になって転勤になったから家族でここへ来たんだ。佐伯は中学の頃からこっちに住んでたの。おじいさんが1人で暮らしてるし、喫茶店を経営してるからその手伝い。中学の3年間はまともに会ってないけどトータル15年は付き合いあるから・・・その所為かな?佐伯、学校ではネコ被ってるし」
佐伯と小波が幼馴染み。
小波は佐伯に恋愛感情は抱いていなくて。
佐伯にはちゃんと彼女がいる。
つまりはオレの勘違いだったってことだ。
・・・何をやってんだ、オレは。
穴があったら入りたいってのは、きっとこういうときのことを言うんだろう。
「志波と坂井みたいなもんだよ。でも、志波は坂井のこと好きなんだよね?いつも優しい目で見守ってる」
「は?」
「坂井と話すときは、志波だって空気変わる。瀬戸と付き合う前も今も、全然変わんない。志波が坂井を見る目・・・」
すごく優しいよ。
そう言って、小波は軽く目を伏せた。
ちょっと待て。
それこそ誤解だと言いたい。
確かに、美波は大事な幼馴染み。
何かあれば助けてやりたいと思う。
でもそれは恋愛感情じゃなく、家族に向ける情に似てる。
小さい頃は身体が弱く、泣いてばかりいた美波。
オレの背中に隠れてばかりいた。
美波を守る役目を瀬戸にタッチしてからも、長年染み込んだ習慣はそうそう消えなくて。
つい目で追ってしまうことはあった。
小波はきっとそれを勘違いしてたんだろうな。
「美波は・・・オレにとって娘みたいなもんだ・・・」
「え?」
小波の驚いた声に、オレも驚いた。
何かヘンなこと言ったか、オレ。
「じゃあ、志波が坂井を優しく見守ってたのって、恋愛感情じゃなくって家族愛だったってこと?しかも、妹じゃなくて娘!?志波が坂井に群がる男子を牽制してたのって、好きだからじゃなくって娘に群がる害虫を追い払うオヤジ的心境だったってこと?」
そこまで考えたことはなかったが、多分、小波の言うとおりなんだろう。
実際、瀬戸なら安心して美波を任せられると思った。
「なぁんだ・・・志波、オヤジだったんだ・・・」
その言葉だけ聞くと、別の意味にも聞こえるぞ。
ま、いいけど。
小波の方が小刻みに震えてると思った瞬間、大爆笑。
そこまで笑うか、普通。
「おい、小波。おまえ、いい加減に・・・」
笑うの止めろ。
そう言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。
小波の目から涙が零れだしたから。
「やだ・・・笑いすぎて涙出てきちゃったよ」
言い訳しながら目尻をこする。
だけど、その涙は笑い過ぎなんかじゃない。
オレは小波の腕を掴んで自分の方へ引き寄せる。
逃げられないように強く抱きすくめた。
「志波!?」
「おまえ・・・どうしてあの時逃げなかった?」
雷のせいなんかじゃない。
オレだって抵抗する女を無理矢理抱く趣味はねぇ。
小波が逃げる素振りを見せてたら、絶対に最後までやらなかった。
「・・・」
「小波?」
「志波こそ・・・どうして?」
「おまえが・・・好きだから・・・」
小波を抱いた理由なんて、それ以外ない。
小波がどうして素直にオレに抱かれたかは知らないが。
胸の中で小波が笑う。
「どうした?」
「普通、順番逆じゃない?エッチしてから告白ってどーよ?」
「・・・悪い」
「わたしも好きだよ、志波のこと。だから逃げなかった。志波が坂井を好きでも、今だけはわたしだけの物だって思えて幸せだった。志波の気持ちを知らなかったから、その場の雰囲気で1度エッチしただけなのに彼女面するのもイヤだったから、極力普通に話せるように努力してたけどね」
「そうだったのか・・・」
オレはてっきり、小波があの時のことは一夜の過ちでなかったことにしたいんだと思ってた。
だから何事もなかったように、いつもと変わらない態度でいるんだと思ってた。
たった一言、伝えることが出来なかっただけで。
「お菓子作り習おうと思ってたんだ、佐伯に」
「菓子作り?」
「わたし料理苦手だし。志波、甘いモン好きでしょ?だから・・・」
「オレのため?」
「あの朝だって、焼いたり切ったり温めたりしたものしか食べてもらえなかったし」
「十分、美味かった」
「いいよ、お世辞言わなくても。誰が作ったって一緒だもん」
「おまえがオレのために作ってくれたってだけで、十分意味がある。マジで美味かった」
「・・・次はもっと頑張る」
「期待してる」
「・・・あんまり期待はしないで」
困ったように笑う小波が、一段と愛しく感じられた。
2人で見上げた晴れた空は、どこまでも青く続いてる。
さっきまでの苛立ちがウソみたいに消えた。
手を繋いでしばらく空を見ていた。
「こんな清々しい空見ながら、すっごい不健全なこと考えちゃった」
「どんな?」
「・・・ウチ、来る?」
「は?」
「ウチ、誰も居ないんだ。だから・・・」
見おろすと、耳まで真っ赤にしてる小波がいた。
「いいのか?」
「よくなかったら、誘わない」
「・・・行く」
オレたちは歩き出した。
この先何度も、晴れ渡る青い空を見上げるだろう。
その時、いつだって傍らに小波が居てくれればいいと思う。
傍にいなくても、同じ空を見上げ思い出せればいいと思う。
小波と見た空の色。
それを一生忘れることはないだろう・・・。