5.屋上




「はぁ……ここまでは飛んでこない、よね?」



あれから……が落ち着くまでにはかなり時間がかかった。
また襲ってくるかもしれないと逃げてきたのがここ、屋上。
フェンスに張り付いて「うん、大丈夫」と一人で確認している姿を後ろから眺める。

9月後半、真昼の屋上は陽射しが直撃して暑い。コンクリの照り返しもキツく、昼休みにしては人も疎らだった。
だが、風に顔を向け目を閉じて安心したように息を吐いているは気持ちよさそうだ。



それにしても……と今日の自分を振り返る。
まだ昼だってのにとてつもなく時間が長く感じて、何もしてねぇのに疲れた。
今朝からのオレ……今のオレ…………



「クッ……」
「志波?」



おかしすぎる。
勝手に焦って、何もできずに悶々として、頑張れと送り出したくせに結局は気になって盗み聞きまでして、勘違いして飛び出して……



「ククッ……」
「うぅ……なんかさっきのこと笑ってるんでしょう?」
「クッ……ククク……」
「し・ば、笑いすぎ!」
「ん……すまん……クッ」
「もうっ……ホントにやだったんだから、かみきりむし」



こっちを真っ直ぐ睨む目が冗談じゃなくなっている。
まずい、本当に怒らせちまったか……
オレが笑ってる原因はじゃなくオレ自身にあるんだが――と言い訳もきかねぇな、これじゃ。
そもそも本当の原因など説明できない、か……



「すまん。笑いすぎた。悪かった……だから、そんなに怒るな」



真っ直ぐな目を見返しながら真面目に謝った――が、タイミングが遅過ぎたのか物凄い勢いで顔を背けられちまった。



「だ、だいたい……なんで津田と志波はあそこにいたのよ?」
「ああ……津田はアイツの応援、らしい」
「……」
「なんだ?」
「……志波も?」



最初は怒って声が震えてるんだと思った。
だが、こっちを向いた顔は、もうさっきのむくれてた顔とは違って……
今にも泣きだしそうに見える。
なんでそんな顔……?



「オレは……心配だった」
「心配……って何が?」
「……のこと」
「え? 心配、しれくれたんだ……」
「ああ……」



間違ってはいないよな。言葉が足りてない部分はあるにしても。
心配だった。他のヤツにのこととられるんじゃねぇかって……

オレの答えが良かったのか悪かったのかはわからねぇが、の顔には少しずつ笑みが戻ってきている。
ころころ変わっていくのを見てるのは落ち着かないが、最後に見れるのが笑顔ならそれもまたいいもんなのかもしれない。



「あ!」
「どうした?」
「えっと、もしかして聞こえちゃった? さっきの……」
「ああ……まあ、な」
「うそ! 全部?!」
「あ、いや……秘密、って辺りは聞こえなかったぞ」
「ああ、そう、だったんだ。はぁ、良かった……。あ、でも、うーん……」



良かった、か……
オレには聞かれたくなかった、ということか……
――それとも、ああいう風には聞かせたくなかった、とか……いや、まさか……
ぶつぶつと何か独り言をつぶやいているが、オレをうかがうように下から見上げてくる。



「えっと、志波にもいつか教える……だから、その、今日は……見逃して!」



今は言えない、だけどいつか、か。
仕方ない、その時まで待つとするか。



「わかった…………なあ、
「な、なに?」
「ああ、その……おまえの苦手、あいつらにも知られちまったな」
「うっ、確かに……津田達だけなら良いけど、針谷に伝わったらどうしよう……」
「確実にニガコク、だな」
「やだ! それだけは絶対やだあ!」
「毛虫だけじゃなかったんだな」
「あう……」
「さっきみてぇなヤツの何がダメなんだ?」



カミキリムシなんてのはいわゆる甲虫でそれほど見かけもグロテスクじゃねぇし何がダメなのかがさっぱりわからない。
あれか? 触角の長さか? 白黒なところか?
――と、想像していたら、が突然右耳をガシガシとこすり始めた。



「な……? どうした?」
「ううっ……だって、まだ耳に音が残ってるんだもん」
「音?」
「ぶつかる直前、耳元でブーーーンって物凄い音がして、それが……ダ、ダメだ。思い出すと鳥肌がぁ……」



確かに、の腕を見ればプツプツと鳥肌。
うあーーーと訳のわからない声をこぼしながらさっきよりも強く耳をこすっている。
それはもう耳がちぎれんばかりに……って、おい、いくらなんでもこすりすぎだろ。



「おい、もうやめておけ」



右手をつかんで耳からはずしてみれば……やっぱり。



「赤くなってる……」
「だってまだブーーーンって音が耳の奥から離れなくて気持ち悪いんだもん!」



オレの手を振りほどいて再びこすろうとするから、オレももう一度その手をつかんで止めに入った。



「やめろ」
「やだ、無理、はなして! 耳があぁぁ、気持ち悪いのぉぉぉ」
「だったら――」



オレが。そう言って耳の縁を撫でてやる。
こすりすぎて赤くなった耳が痛くならないよう、そっと。

耳もサイズ、だな。
自分の掌よりはるかに小さい。
それに自分のと比べると柔らかいような気がする。
こんなに赤くなるまでこするほど嫌だったのか……
耳の奥について離れないという羽音、それが確実にとれるようにと耳裏や下の方まで丁寧にゆっくりと撫でてやった。



しばらくして気付いた。
が妙におとなしい。
直前までわーわー騒いでいたのに、今は身体を硬直させている。
よく見れば手も握り締めて全身にもかなりの力を入れているようだ。



(なんだ……?)



まあ、赤味も引いてきたようだし、これぐらいで良いかと終了の意味を込めて耳たぶをつまんだ。



「ひゃっ……!」
「っ……! 悪ぃ、痛かったか?」



小さく叫んだのと同時にびくっと身体を震わせたのはまだ痛かったからだろう。
ならば、と再びそっと撫ではじめたら――



「ちがっ……い、痛くない、もうダイジョブだから」
「そうか? でも……」
「はうっ……」



今度は撫でてるだけで身体を震わせ始め、そして――



「も、やめて……く、くすぐったいいい!」
「は……?」
「無理! シヌ! ひゃあああ……」



くすぐったい? これぐらいで?
試しに人差し指ですっと縁をたどったら本当に身体をよじらせて苦しそうにしている。



「やーめーてぇーー!」



そういうもんなのか?
反対の手で自分の耳に触れてみるが、わからない。
とりあえず手を離してやったら全身から力が抜けたようにくたりとフェンスに寄りかかって動かなくなっちまった。



「はぁぁぁ……」
「そんなに、か?」
「そんなに、なんです。くすぐったがりなんですー」



それをこらえてあんなに固まっていたのか。



「おまえの苦手、まだあったんだな」
「誰にも内緒だからね! 絶対だからね!」
「ああ……わかった…………」
「本当だよ?」
「誰にも言うわけねぇだろ……」



――言うわけがない。
他のヤツらの知らないのことなんて、もったいなくて話せるか。
のことならどんなことでも独り占めしたい、オレはいつでもそう思っている。

の頭を軽く叩くと、も納得したのか照れたように笑う。
そう……こんな笑顔でさえもオレだけのものにしたい。
全部、いつか。



「じゃあ、口止め料にいちご牛乳おごってあげる」
「口止料にしちゃ、ずいぶん安いな」
「そんなこと言うならやっぱりやめた」
「悪かった」
「謝るの早っ! あはは!」



もう一度、そっと頭に手を乗せる。
さっきよりも眩しそうに笑う
オレもたぶん笑っているんだろう。



「行くぞ」
「うん!」



真昼の太陽、海から吹いてくる風、笑顔の
ここにあるのは、いつもと変わらない学校の風景。





(おわり)





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